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最近は週末まで、

 投稿者:胸騒ぎの夏  投稿日:2004年 8月 1日(日)08時25分28秒
   やらなくてはいけない
ことが山積していて、 
 ゆったりとドライヴ、ということも
随分やっていないような気がして、
 氷を入れたカルピスの味が少し哀しかった。

 ほんの少しの時間、近くの公園の
森を散歩した時、
 かんかんと照る太陽が木々を
照らして
出来た明と暗のコントラストが目にくっきりと
焼き付いて、
 セミがみんみんみんと大音響で
心の一番奥のところまでズンと入り込んで
きた。

 そうと気付いて見れば、夏の
森の中、明と暗のコントラスト、そして
セミの大音響という視聴覚の組み合わせの
もたらすクオリア以上の強度を持った
体験というのは、この世界になかなか存在
しないのではないか。

 母の実家が九州の小倉の近郊にあり、
小学校の頃、毎年のように帰っていた。
 親戚の一つが大きな農家をやっていて、
その裏山に上って一日中蝶をとっていた。
 
 ある時、山の中の墓のあたりを
歩いていた時に、おおきな緑のセミが
視野の中を横切り、それに太陽が
あたってこの世のものとは思えない
エメラルド色に輝いた。
 
 うわっ、と思って追いかけたが、
もうどこかにいってしまっていた。

 ものすごい珍種に違いない、
と思って、
 正体を確かめられなかったことを
くやしがった。
 いかにそれが強烈な体験であったか
は、
 今でも残っている記憶の強度が
証左である。
 しかし、
 考えて見れば、
 太陽の当たり方や、光と闇の気配で、
見慣れた虫が全く別のものに見える
ということは時々ある。

 そのような一瞬のマジックによって、
ミンミンゼミなどの普通の種が、
天上の輝きを得てしまったのかもしれない。

 自然の中にいると、何かの具合で、
普段見慣れたものがとてつもない
美しさと強度を持ったものに見えてしまう、
ということは時々ある。

 仕事ばかりやっていないで、
ああいうものに出会うために
自然の中に入り込んでいかなければ、
オレはきっとダメになってしまうのではないかと、
少年の頃、自然の中で偶然の異化作用に出会う
度に
わき起こったざわざわと
した胸騒ぎの強さを思い起こして
考える。
 

こういふ意見もあるやうです

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2004年 7月31日(土)15時41分52秒
  茂木さん 増田さんの「桃山の美っていうけど人がごろごろ
死んでたんですよ! 近代は進歩だ」というのは 昔の 小林と
、マルクス主義文学!者の近代のチョウコク座談会と なにも
かわらない図とおもい唖然としました。 社会主義リアリズム
とおなじ理念。 まだ死なない。市民主義は恐ろしい

デザイナー、小池憲治さんより。

いろいろ勉強して、考えてみたいと思いマス。
 

ユーラシア旅行社発行の

 投稿者:Public Relations  投稿日:2004年 7月31日(土)15時13分55秒
  「風の旅人」第8号に、

茂木健一郎

連載「都市という衝動」第8回

人間をつくり出すもの

が掲載されています。

一部抜粋

 アリゾナ州のツーソンの郊外に、チリカウアという場所がある。
2700万年前、ここで巨大な火山の爆発があり、厚さ600メ
ートルの火山灰が積もった。火山灰は固まって岩となり、長い年
月を経て次第に浸食され、柱が林立したような奇怪な風景が生み
出された。現在は国定公園となっているこの場所は、北アメリカ
でも有数の豊かな生態系を誇り、ハイカーやバードウォッチャー
のメッカになっている。

 トレイルの入り口から谷を下り、再び上って「インスピレーシ
ョン・ポイント」と呼ばれる高台まで行った。汗でぐっしょりと
なったTシャツを脱ぎ、岩の上に広げた。崖の手前の岩の上に座
ると、遙か彼方の平原まで続く峡谷の両側に、ずらりと並んだ柱
状の岩を見渡すことができた。
 人影一つない大いなる自然の光景でありながら、どこかにあたたか
さの核があった。するりと入ってきて、そのままそこにとどまり
、記憶のひだの一つ一つの中にゆるやかに侵入して行く。無機質
であるはずの岩の並びが、そのような生のやわらぎをもって心に映
し出される。
 この風景は、何かを思い起こさせる。
 リュックの中に忍ばせてあったバーボンの小瓶から褐色の液体を
口に含みながら、私はそう思った。
 まだ乾ききっていないTシャツを再び着てさらに踏査を続け、
「岩の心」と名付けられたループを巡り、やがて出発地へ戻る谷
の道を下り始めた時には、もう日も傾いていた。見てきた光景を
思い起こしながら、私はふと、ああそうか、と思った。

http://www.eurasia.co.jp/syuppan/wind/index.html

 

増田健史が

 投稿者:マスダのアイクチ  投稿日:2004年 7月31日(土)08時49分33秒
   朝日カルチャーセンターの
後の飲み会に来た。

 PR誌「ちくま」の連載の仕事
(来年の春から秋に始まるらしい)を取ってきた。

 それはいいんだけれど、ついでに大塚久雄の
本も持ってきた。
 それが、グサリとアイクチだった。

 「社会学の方法」
 「社会科学における人間」
ついでに、
 E.H.カー「歴史とは何か」
 仲正昌樹「不自由」論。

 茂木さんは現代がスカだとおっしゃいますがねえ、
と来た。
 安土桃山の頃の文化がいいと言いますがねえ、
 あの頃の民衆が、無惨にぽろぽろ死んで
行ったことを、どう考えるんですか。

 近代は、そのような世界の在り方に対する
人間のインテリジェンスだったんじゃないですか。

 そう来たか、と私はアタマを抱えた。
 柴咲コウか。セカチューか。
 きついネタを持って来るよな、増田健史

 茂木さん、近代は終わったとか言っているんだったら、
当然、そういうことを考えていらっしゃるんでしょうね、
とビールを飲みながら目が笑わない増田健史。

 早稲田の後輩、幻冬舎の大島さんもいらっしゃると
言うのに、
 びんびんビーンボールを飛ばす。

 ひょいひょい避けているうちに、
いつの間にか健史行きつけのMoon Shinerという
新宿三丁目のバーにいた。
 そこでニコラシカを飲まされた。
 増田健史が、大島さんに、
 ニコラシカというのはね、こうやってチョチョイの
チョイと飲むんだよ、
 と先輩風を吹かして教えていた。

 私も砂糖を載せたレモン・スライスを
ごくっと飲み込んで、
 チョチョイのチョイとブランデーを
飲み干した。

 それで、増田健史が持ってきた
大塚久雄の毒が少しはやり過ごしやすくなった。

 大衆文化、という言い方は古いだろうし、
サブカル、という言い方も好きじゃないし、
 ポピュラー、という言葉も違う気がするけども、
とにかく現代のスカ文化と、み〜んなが平和に
とりあえず幸せに暮らせる近代の文明は
セットなのかもしれないし。

 困った大塚、増田、増長するなよ。
 柴咲コウが好きでも、許してあげよう。

 私は、せいぜい、モンシロチョウというのは
360個卵を産むんだよ!
 と反撃するだけであった。
 

本日

 投稿者:Public Lectures  投稿日:2004年 7月30日(金)07時11分5秒
  朝日カルチャーセンター講座

「脳とこころを考える   仮想すること」

第2回 
18:30〜20:30
新宿、住友ビル48階 朝日カルチャーセンター

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0407/koza/A0201_html/A020101.html

 

筑摩書房の

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2004年 7月30日(金)07時08分2秒
  増田健史さんより増刷の知らせ来る。

____

何度も電話差し上げ、失礼しました。
じつは『意識とはなにか』の増刷が決まり、喜びを
直に分かち合いたく、お電話したのです。

やったぁ、ばんざい!

こんなことをいうと、また茂木さんに叱られちゃうかも
しれませんが、最近「お怒りモード」のクオリア日記に
たまさか(?)明るいニュースですね。

ちなみに個人的にぼくは、茂木さんの怒号、今のまま
が悪くないと思いますが…。

____

これで、4刷です。皆様、ありがとうございます。
 

フランシス・クリック

 投稿者:Obituary  投稿日:2004年 7月30日(金)07時01分57秒
  が亡くなった。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20040729i116.htm
 
 もちろん、DNAの二重らせん構造を解明した
人ではあるが、
 私の周囲では、後年、コッホとともに
意識の謎の解明に取り組んだ人、
という印象が強い。

 ソーク研究所や学会で、いつもニヤミスで、
結局直接話す機会がなかったのが、
 今から思えば残念である。

 友人の田森佳秀がソーク研究所に1年間留学
していて、
 その間、クリックと何回か喋ったらしい。
 その時は、ペンローズの悪口ばかりを
言っていたという。
 ペンローズの言っていることは、
間違っている、というのだ。

 ペンローズは、1989年の「皇帝の新しい
心」の中で、意識の本質は量子力学の
非計算論的過程にかかわっており、したがって、
人間の知性ができることを計算論的な
コンピュータでは実現できない、と主張して
センセーションを起こしたのだけれども、
 その主張がどうしても気になって仕方が
なかったらしい。
 それだけ、ペンローズの仮説に何か
尋常ならざるものを感じたのだろう。

 クリックは、バランス感覚の人だった。
何らかの新しい思いつきに夢中になって、
全体を見落とすということはなかった。
 意識の起源に関して彼が出した仮説は、
みな、ファンタスティックに新しいとか、
独創的だいうわけではなかったが、
 常に、類い希なる目配りに満ちていて、
どんな意識の理論も、クリックが
うんと言わないとダメだろう、
ということを確信させた。

 できれば、クリックが生きている間に、
クリックをうんと言わせるような、
意識の新理論をつくりたかったが、
それも今となっては叶わぬ夢となった。

 私の大学院時代の恩師、若林健之先生は、
ケンブリッジのMRCに留学しているとき、
クリックが週末、山ほどの論文を持って
帰宅するのを目撃したという。
 理論家というのは、それだけ論文を
読まないとダメなんだ、とクリック先生が
言っていましたよ、茂木君。
 そんな若林先生の言葉が昨日のことのように
蘇る。

 昨今の
 世の中に満ちているテクノロジー
とイコールのような
凡庸な科学と、おっちょこちょいのマスメディアの
ことを思うとウンザリするけれど、
クリックやペンローズのことを思い出すと、
やっぱり科学は人間の知の王様だと確信される。
 他のどの分野にも、あのような雰囲気と輝きを
持った人たちはいない。

 きっと、あなたの墓前に意識の問題を解きましたよ、
と報告しますから、ちょっと待っていてください。
 
 フランシス・クリックさんのご冥福をお祈り
いたします。
 

どうでもいいけど、

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2004年 7月29日(木)21時14分18秒
  渡辺恒雄 クソジジイ

でgoogleで検索したら、51件ひっかかってきた。

みなさんもいろいろな組み合わせで検索してみてくだされ。
 

青山の

 投稿者:秀逸と愚鈍  投稿日:2004年 7月29日(木)06時51分5秒
  「宣伝会議」で、
デザイナーの原研哉さん、
織咲誠さん、
慶応大学の小檜山賢二さん
と座談会。

 事前に、原さんの『デザインのデザイン』
が資料として送られてきて読んだのだけども、
これが久々に実に素晴らしい本であった。

 コップという見慣れたものを、もう一度
デザインしなおすと、どこからどこまでが
コップで、どこから皿で、どこから何だか
判らない得体の知れないものと感じられるか、
というような前書きから始まるのだけれども、
視点が斬新かつディープ。
 その上、デザインという問題領域だけで
なく、広く現代におけるエッセンシャルな
問題群が扱われているところがエクセレント
である。
 原研哉、おそるべし。

 織咲さんは、紙という素材にいろいろ
こだわっていらっしゃる方で、
 名刺も分厚い紙の素材でできていた。
 考えてみると、デジタルの情報が全盛に
なった今も、紙というメディアはなくなるどころか
ますます増えている。
 その点に、「情報」という概念を超えた
何かがありそう、というのが織咲さんの
直感のようであった。

 小檜山さんは、ずっとNTTにいらっしゃって、
その間、ご専門の研究はもちろん、極精細の昆虫写真を
撮られることでも知る人ぞ知る人であった!

http://kohiyama.wem.sfc.keio.ac.jp/

 対談は、FILINGという原さんと織咲さんが
やられた展覧会をモティーフに進み、
いろいろ面白い話が出た。
 お昼にカツサンドも出た。
 宣伝会議の社屋は、初めていったけれども、
なかなかお洒落なところだった。
 中庭がギャラリーになっていた。

 ところで、「デザインのデザイン」にも
掲載されていたけれども、愛知万博って、
最初はものすごくいい感じでやっていたんじゃん。
 それが、何で今みたいになっちゃうんだろう。

 原さんは、万博招致の時のプレゼンなども
やられたようだけど、
 原さんがつくった万博ポスターからは、
一目でわかるある思想性が伝わってくる。
 これだったら、私の周囲で「万博なんてよ、
ケッ」と言っている人たちでも、
 共感できる回路があったのではないか。

 この前名古屋に行った時、愛知万博の
マスコットを見たけれども、
 あまりの「トホホ」に声が出なかった。
 なんであーなっちゃうの。

 原さんによれば、今の日本は、才能のある
人に全てをディレクションさせるというよりは、
 「みんなでいろいろ手を出して、手あかが
ペタペタつきましたね」
 ということを優先させるようになっている
というのだ。
 憂鬱。

 デザイナーの小池憲治さんは、私が
怒りの日記を書くと、「茂木さんが怒っている
対象は市民主義ですな!」などと書いて
送ってくるが、私は、マジで、
一番下のURLにも載っている原研哉のポスターの
佇まいが、「ぼく、キッコロとモリゾーです、
よろしくね」のトホホの雰囲気に
変化していく、その平成日本の
摩訶不思議な凡庸化の過程
の秘密を知りたいんだけどね。

 その途中のプロセスには、「やはり皆さんの税金を
使うわけですから」と自分たちは効率も何も
追求していないクセにいやにねちねち
言ってくる役人とか、自分の凡庸な感性に
疑いを持たない市民の群れとか、
「いくら儲かるかな、パチパチ」とそろばんを
はじいているやつらとか、いろいろな
魑魅魍魎が潜んでいるんだろう。

 「キッコロとモリゾー」の愛知万博には、
日テレの「愛は地球を救う」と同じような
トホホ感が漂っているが、原研哉のポスターには
清く正しく美しい本来の志が感じられる。
 なぜその志は消えて、手あかペタペタの
トホホになったのか、
 誰か当事者、総括してくんないか。
 総括するついでに、そういうゴミを生み出す
メンタリティーをどっかに捨ててきてくれないか。
 よろしく。

http://www.visualogue.com/speakers/hara_j.html

 

ソニー

 投稿者:番組収録  投稿日:2004年 7月28日(水)05時55分22秒
   コンピュータサイエンス研究所で、
ノーベル賞の小柴昌俊さんの「平成基礎科学財団」
が主催の「楽しむ科学教室」の撮影。

 番組は、今年の文化の日前後にNHK教育で
放送され、DVDにもなる予定。

 番組スタッフの方々が研究所を訪問された
時、ミーティング・スペースのデザインの良さに
惹かれて、「ここで撮影しましょう!」
となった次第。

 公募で選ばれた高校生8名が、ミーティング・
スペースの豆のような形をしたソファに坐り、
私がその前に坐ってレクチャーをすることとは
なった。
 
 小柴先生もいらして、ちょっとご挨拶。
まさに東奔西走の日々らしく、網走で講演、
翌日には熊本で講演、という感じだ
そうである。
 基礎科学
の振興に奔走されるお姿には頭が下がる。
 お身体を大切にしていただきたい。

 高校生たちとやりとりをするのも番組の
一部なので、「ウォームアップの時間をぜひ
ください」と事前にお願いしておいた。
 それで、まず、自己紹介してもらう
ことにした。
 そうしたら、みんな、ホントウにごく普通の
イマドキの高校生で、
 一人、物理が好きと言った女の子
以外は、
 バスケが好きだとか、バンドをやっているとか
言っている。
 うぁー、これから脳とかクオリアとか、
そういう話をするんだけど、大丈夫かな
とチョット心配になった。

 ところが、約2時間の番組収録の最後に、
一人一人に疑問に思ったこと、感じたことを
言ってもらったのだけど、
 その時にはこちらがビックリするくらい
ディープで感度の良い発言をしていた。

 ディレクターの高橋さんが「顔の表情が
変わっていましたねえ」というくらいだった。

 これは、一体どういうことだろう、
と私はふかーく考え込んでしまった。
 イマドキの高校生って、普段、
科学の最先端はもちろん、そもそも科学の
おもしろさって何なんだろう、と考える
機会すら与えられていないのかなあ。
 大学受験という制度的縛りの中、
学校という檻の外にはワクワクドキドキの
世界が広がっているということ自体を
知らないのだろうか。

 私の学生の柳川透と関根崇泰は、
小会議室でメークされていたら、
そこを写真で撮りやがって、
「やあ、いい写真がとれました」
というひどいやつだったが、
田谷文彦はなかなかいいことを言った。
 
 私が、「いやあ、びっくりしたよ」
と上に書いたようなことを言うと、
「ぼくはだから竹内薫さんの本は、評価しているん
です。物理の入門書って、ふつう古いことしか
書いていませんからね」
と答えた。

 私が、クオリアの問題に関して「近代は
終わった」と言っているのは、超応用問題
として言っているのであって、それ以前の
ごくごくベーシックな科学のセンス・オブ・
ワンダー自体が高校の教育現場で伝えられて
いないんだとしたら、そのことには大変な
危機感を感じる。

 テレビでは、あいかわらず
タレントたちがクソふざけた番組に出て
いやがって、全国の高校生は受験勉強に
いそしむか、そんなもんから降りてしまって
人生を走り抜けるか、いずれにせよ
若い生をもてあましながら、
時々テレビを見て、世の中とはそんなものなんだ
と思っている。
 くだらねえメディアと学校の檻の向こうに、
どんなに素晴らしい世界が広がっているか
ということを、金儲けと世渡りに忙しい
大人たちはちゃんと子供たちに伝えようとしない。
その金儲けに忙しい世の中に
チャラタレをたくさん抱えた芸能プロダクション
が寄生して、電通、博報堂が
潤滑油となり、
みなさまのNHKには不祥事の
雨が降る。

 あ〜アッタマに来る!

 怒る時はもっとダンディーに怒れと
最近あるヒトに言われたけども、
 そうダンディーにもなってられないよ。
 まあ、ダンディーに仕事、仕事。
 

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