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午後早い時間に帰ってきて、
仕事をしていた。
夜、
池上高志が前から「良い!」と言っていた
映画、Man on the moon(ジム・キャリー主演)
を見た。
池上がどういうところを良い、と言っていた
かというと、
「やっぱさあ、
テレビで受けたネタをみんなが期待している
時に、その期待を外して、「華麗なるギャッツビー」
を朗読するとか、ああいうのがいいんだよ!」
とかそんなことを言っていたのだ。
件のシーンは、「タクシー」という
シチュエーション・コメディでブレイクした
アンディ・カウフマンが、どっかの大学
の講堂で意表をついて
ギャツビーの朗読を始めちまって、満員の観客が
一人、二人、と立って、最後はパラパラに
なっちゃう、というところだった。
映画は、女の人とのプロレス・ネタから
南部のプロレス王とのマッチを仕掛けたり
(実は全部やらせ)、
ドラマで殴り合いの喧嘩をしたりと、
常に観客の期待(予想)を裏切ることを
やり続けたアンディの生涯を描く。
池上高志がなぜ、この作品を面白い、
と言うのかは判った気がしたけれど、
私のコメディのストライクゾーンからは
外れている気がした。
やっぱり、アメリカ人は良い意味でも悪い意味でも
childish(お子様みたい)だなあ。
思うに、小津安二郎の映画のそこはかとない
ユーモアも、ブリティッシュコメディの傑作
(最近だとThe Office)の喜劇と悲劇が一体と
なった感じも、アンディ・カウフマン的な
プラクティカル・ジョークは散々やった後で、
その後ですっきりとした姿で残るものなんじゃ
ないか。
ジム・キャリー演ずるアンディ・カウフマンは、
理屈が多すぎて、ゴタゴタしている気がする。
プラクティカル・ジョークだったら、
オレも小学校の時に散々やったよ。
クラスメートの背中に「バカ」という紙を
貼ったりとか、
誰かをかついだりとか、
でも、それはやっぱり子供の世界で、
大人にはもう少し違う世界があるんじゃないの。
小津安二郎の「秋刀魚の味」で、笠智衆が
娘を嫁がせた後、正装のまま、一人寂しくバーに行く。
マダムが
「今日はどちらへ? お葬式ですか?」
と聞くと、
「うん、まあ、そんなもんだよ。」
と答える。
マダムが
「じゃあ、かけましょうか、マーチ?」
と言って、軍艦マーチをかける。それを聞いて
いた一人客が、
「大本営発表!」
と言うと、別の一人客が
「帝国海軍は、今暁5時30分、南鳥島東方海上において」
と受ける。
「負けました」
「そうです、負けました」
と二人は言い合い、笠智衆に向かってにこりと笑い、
黙ってウィスキーを傾ける。
ああいうシークエンスが、大人のコメディという
もんでしょ。
他人を騙して喜ぶプラクティカル・ジョークを、
剥き出しのまま大人の世界に持ち込んじゃうところが
アメリカ人のスゴイというか幼いところなのかも
しれないけどね。
もっとも、幼いからこそ、
月なんか行っちゃうわけでしょ。
イギリスのインテリの世界観の洗練は、
8月11日の日記で引用した
ホラス・ウォルポールの言葉なんか見ても
そうだけど、古代ローマ以来綿々と、
という感じでクラシカルな意味である水準に
達してしまっているからねえ。
だけど、そこまで洗練されちゃうと、
エンジニアリング
ばんばんやってロケット飛ばす、なんて方向に
なかなか人間いかないわけで。
チャイルディッシュなコメディ見て喜んでいる
単純な人たちだからこそ、ロケットを月に飛ばせた
んでしょ。
そのあたりは、良い面も悪い面も、
一体のナショナル・キャラクターになっている。
アメリカで一番感動したのは、ワシントンの
スミソニアン博物館のアポロの展示である。
結論として「マン・オン・ザ・ムーン」
が、本当のコメディの傑作と較べてかなり
見劣りする、ということは、まあ正直
仕方がない事実だと思う。
ジム・キャリーの作品は、もういいや。
「トゥルーマン・ショウ」以来、見たものが
ぜ〜んぶチャイルディッシュだからね。
チャイルディッシュだからこそ、アメリカ人の
コミック・ヒローなんでしょ。
オレはもう少し大人のやつがいい。
もっとも、池上高志もそのあたりは同意
するかもしれないので、今度ベルギー
ビールでも飲みながら、ゆっくり話して
みたいよ。
池上高志に随分会っていないような
気がする。
(「秋刀魚の味」の上のシーンについては、
文學界 2004年1月号掲載、
「日常が底光りする理由」ー小津安二郎 私論ー
の中でも触れています。)
http://www.qualia-manifesto.com/ozubungaku.html
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