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本日

 投稿者:Public Relations  投稿日:2004年 8月30日(月)06時53分35秒
  発売の「ヨミウリ・ウィークリー」
(2004年9月12日号)に

連載 茂木健一郎 「脳の中の人生」
第18回
人間は思いつきでものを言う


が掲載されています。

発想の脳内メカニズムについて論じています。


http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

 

昨日の続きだが、

 投稿者:室伏の心  投稿日:2004年 8月30日(月)06時39分49秒
  対談で
中村光夫がもっともらしいことを言っている
間、小林秀雄が「うん・・・うん・・・・うん・・・
うん・・・」とずっと相づち打っているのがイイ。

 それで、相手がしゃべり終わると、おもむろに
自分の信じることを熱弁する。
 人生、これでいいんじゃないか。

 小林は、価値がないと思ったものについては、
その瞬間興味を失ってしまったという。
 これも、これでいいんじゃないか。
 世間との交渉や、 
 インターネットはいろいろ下らないものや
悪意を運んで来るけれども、
 そんなものに構っている暇はないんだろう。
 愛するものだけ見つめていれば良い。

 小池博史さんの「見えない都市の夢」 を
見に行った。
 「百年の孤独」にインスピレーションを受け、
創り上げた身体表現、歌、テクスト・・・
などが渾然一体となったパフォーマンス
である。

 終了後、舞台に上がって、小池さんと
「アフタートーク」をした。
 現代日本に、このような明るさは
貴重なんじゃないか、
 天の岩戸の外でやった歌舞音曲は、
こんな感じだったかもしれないけど、
と言った。
 
 そうしたら、小池さんが、明るさは
暗さ、絶望と表裏一体となっている、
と言った。
 そうだと思う。スペインの村の昼下がりの
明と暗のコントラストのようなものである。

 ハンガリーで、言葉がまったく類推の
利かない脈絡ないものだと悟ったとき、
結局身体表現しかない、と思った。
 英語やフランス語や中国語ができても
仕方がない。
 世界に数千の言語があるというバベルの塔の
状況の絶望を思うとき、
 もはや自然言語は終わっているのではないか。

 自然言語に限らず、何らかの言語
の表現をする時には、
言語は終わっている、ということの覚悟を
秘めつつ、行うべきなんじゃないか。

 だから、小池さんのようなアプローチは、
地球上の状況を真摯に受け止める時、
実は唯一の正道なのかもしれないと思う、
と申し上げた。

 日本での上演はかえっていろいろ苦労が
多いらしい。
 そうなんじゃないかと思う。
 何だか、意味が確固としてなければならないと
いうような、意味役人の病にかかっている
人が多いように思う。
 
 それやこれやで何だか疲れてしまって、
札幌に来て寿司食べて眠ってしまった。

 マラソンをつけていて、一位の選手が
妨害されてしまった瞬間、なぜか意識が戻って、
あれれ、と思って、また眠ってしまった。

 一夜明け、室伏広治が金メダル、というニュース。
池上高志が、(もしそうなったら)「一番価値の
ある金メダルだろう」と高田馬場の飲み会で
言っていたが、うまいことを言うもんだと
思う。 
 室伏が引用していたギリシャの詩の中に、
現代日本では絶えて久しい精神の高貴さという
ものを感じた。

「真実の母オリンピアよ あなたの子供達が 競技で勝
利を勝ちえた時 永遠の栄誉(黄金)をあたえよ それを証明
できるのは 真実の母オリンピア 古代詩人ピンダロス」


 高貴さは、詩の中にあり、アテネ中を
どのような意味か翻訳してくれる人を捜し回り、
金メダル確定の記者会見でこの詩を引用した
室伏の心の中にある。
 

日本建築学会学会

 投稿者:Lecture+Symposium  投稿日:2004年 8月29日(日)10時40分21秒
  レクチャー+シンポジウム
「建築設計のIT化―手綱は引くべきか」

日時 8月30日(月)9 : 00〜12 : 00
会場 北海道大学高等教育機能開発総合センターE201
(札幌市北区北17条西8)

ショートレクチャー
講師・テーマ
渡辺誠「IT化の恩恵と建築設計」 
大崎純「IT化の恩恵と構造設計」 
中島研吾「大規模シミュレーションのためのハードウエアとソフトウエア」 茂木健一郎「デザイン行為とコンピュータ」

シンポジウム
パネラー 渡辺誠 大崎純 中島研吾 茂木健一郎 猪里孝司 
     川角典弘 河村廣 中井正一 松永直美 和田章

http://news-sv.aij.or.jp/taikai/s1/ken8.html##42

 

ヤフー

 投稿者:やったろうじゃないか  投稿日:2004年 8月29日(日)10時33分27秒
  オークションで苦労して手に入れた
小林秀雄と中村光夫の対談
(「昭和の巨星 肉声の記録 NHKソフトウェア)
を聴きながら早稲田大学に行く。

 「音楽談義」で小林と対談した五味康祐も
そうだったが、中村も痛々しい。
 単に、小林が座談の名手だから、という
だけではない。
 小林が、自ら信じるところに、捨て身で
のしかかっていくのに対して、
 対談相手の五味や中村は、いかにも
こざかしく、自分はリスクを追わずに
まとめようとしているように聞こえる。
 そのことが、痛々しい。

 中村との対談「文化の根底をさぐる」
における小林の発言も素晴らしかった。

 「ぼくなんかはね、モーツアルトの音楽を、
生で聞いたわけじゃなくて、蓄音器で聞いた
わけでしょ。そういう意味では条件が
悪いわけですよ。しかしね、創造する人間に、
条件がいいも悪いもないんだよ。与えられた
条件の中でやるっきゃないんだよ。」

 (中村が、戦後日本の美意識が乱れている
とか何とか凡庸なことを言ったのを受けて)
 「結局、考える、ということしか
ないんじゃないかなあ。考え詰める、という
ことね。時々、徹底的に詰める人が出る
わけでしょ。科学者で言えばアインシュタイン
とかね。そういう人のおかげで、我々は
くらしているんじゃないかなあ。」

 素晴らしい、小林秀雄。
 今回の音源は、Yahoo オークションで
アラートを設定しておいて初めて知ったが、
まだ私の知らない録音はあるのだろうか。
 彼の談話は、
 まさに、後世に伝えるべき文化遺産だ。

 早稲田大学で、三輪敬之さんや三宅美博さんが
主催した計測自動制御学会の共創シンポジウム。
 早稲田の相澤洋二さん、郡司ペギオ幸夫、
それに私がスピーカーで、その後
池上高志と谷淳が加わってパネル・ディスカッ
ションをした。

 郡司、池上、谷とは複雑系の研究会で
散々やり合ってきた仲で、お互いムチャクチャな
ことを言い合うが、実は仲がいい。
 しかし端から見ている方は、ビックリ
するのではないか。

 終了後、高田馬場の土風炉で飲む。
郡司はどこかへ消えたが、おしら様哲学者
塩谷賢が参加。
 
 ここで明らかになった驚愕の事実。
池上高志の父親は、常温核融合をやっていると
言うのだ。
 さすが親子二代というか、池上をますます
尊敬するキモチになってしまった。

 久しぶりに、気の合う仲間と大いに飲んで、
心から楽しかった。

 小林秀雄ほどのことを成し遂げられるかは
判らないが、
 オレタチは、少なくとも自分の信じる道へ
捨て身で行きたいと思っている。
 しかし、現代日本人には、自分は安全圏に
置いて、冷たい批評を行うやつばかりが
多くないか。
 特に学者に多くないか。
 中村光夫や五味康祐ばかりいても
仕方あるまい。

 結局、問題を解いて、
「ほら、これ」
と見せないとわからないんだよ、
そういうやつらは。
 だったら解いてやろうじゃないか。
 

8月29日

 投稿者:After talk  投稿日:2004年 8月28日(土)10時58分8秒
  パパ・タラフマラ
「見えない都市の夢」
の公演後の小池博史さんとの
After Talkに参加します。


▼日時
8月27日(金)19:30
28日(土)15:00/19:30
29日(日)13:00/17:00
*会場は開演の30分前になります。
*29日(日)13:00の回終演後、茂木健一郎さん(脳科学者)
を交えてのアフター
トークがあります。

▼場所
国際交流基金フォーラム(赤坂ツインタワー1階)→アクセスはこちら
http://www.jpf.go.jp/j/about_i/access03.html

http://www.sunaorex.com/amishiro/toshi/toshi_syousai/toshi_syousai.htm

 

Public Lecture (in 大阪)

 投稿者:お知らせ  投稿日:2004年 8月28日(土)09時42分55秒
  9/4(土)午後4時 ブックファースト梅田店
茂木健一郎トークイベント『脳内現象』

8/18より各階にて
先着15名様整理券(ドリンク付き席)¥300(税込)で販売いたしております。
当日立見席もご用意いたします。 

下のURLの「イベント」の項をクリックして下さい。

http://www.book1st.net/

 

空港から

 投稿者:メタモルフォーゼ  投稿日:2004年 8月28日(土)09時38分53秒
  家にたどり着いた時は、
ちょうど日が暮れた時だった。

 公園を抜けて、スーパーまで
買い物に行った。

 森の中を歩いている時、
おや、ヒグラシが鳴いているな、と一瞬
思った。
 しかし、よく聞いて見ると、それは
コオロギのようであった。

 夢のような一瞬に、ヒグラシがコオロギに
メタモルフォーゼして、
 夏から秋に世界が変わっていた。

 ビールと寿司の食事を済ませた後、
涼しくて気持ちがいいので、
 ベランダでゲラを読んだり、
原稿を書いたりした。

 午前ゼロ時を回った頃、
シンクロナイズド・スイミングの予選の
様子をテレビでやっていた。
 スペイン、アメリカ、日本、ロシアの
チームが、熱演していた。

 飛行機の中のフライトアテンダントたちも
そうだけど、

 あのくらいの年頃の女の人たちが、
チームできびきびと働いている様子は、
胸を打つ。
 まだ見たことはないけれど、宝塚にも
似たような魅力がありはしないか。

 その本質は何なのか、と考えているうちに、
夕刻に出会った、ヒグラシからコオロギへの
メタモルフォーゼのことを思い出した。
 

帰りの飛行機は、

 投稿者:よっしゃ、筋トレじゃ。  投稿日:2004年 8月27日(金)19時19分50秒
  二つ前が室伏重信さんだった。
 室伏広治選手のお父さんである。

 背も高く、身体もがっちりと大きい。
一目で、「ふつーの人ではない!」と
いうことがわかる。
 成田について、出口のところで
待ちかまえていたテレビ・クルーに
インタビューを受けていた。

 飛行機の中で
うとうとしながら、いろいろなことを
考えながら日本に戻ってきた。

 一つ自分の中で判ったことは、
インターネットというものが
自分にとってかなりイヤなものとして
認識され始めているということだった。
 特に、インターネットの上で
浮かれているやつらがイヤだ。

 もちろん、ツールとしてのインターネットは
使い続けざるを得ない。
 だが、ネット上でなれ合って何かを
生み出していると勘違いしているやつらは
ウンザリだ。
 2ちゃんねるとか、なんとかとか、
ああいうものからはロクなものが
生まれないだろう、
という確信のようなものがハンガリー
でいろいろ考えているうちに
自分の中で理論化できてきた。

 スポーツ選手に引かれるのは、
彼らがまさにリンクだとかトラックバックとか
レスとか、コメントとか、
そんなものではごまかすことができない
ものと向かい合っているからで、
とりわけ、サッカーのような集団競技よりも、
一人で黙々と言葉にならない世界に向かい合う
個人競技に惹かれる。

 音楽の演奏家もそうかもしれない。
 
 知的な創造も、美的な創造も、本来
孤独に黙々とやる作業じゃなかったのか?

 マルセル・デュシャンが便器を
「泉」と称して展覧会に持ち込んで以来
の文脈主義を、一般人が気楽にやるように
なったのがインターネットである。

 本来は、スポーツも、知的創造も、
文脈主義とは無関係な孤独な営み
なんじゃないか。

 室伏さんの巨体が目の前に現れた
タイミングは、私の人生において実に良かった。
 

今週発売中の

 投稿者:Public Relations  投稿日:2004年 8月25日(水)17時46分36秒
  「ヨミウリ・ウィークリー」
(2004年9月5日号)に

連載 茂木健一郎 「脳の中の人生」
第17回
クリント・イーストウッドの早撃ちに感動



が掲載されています。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

 映画を見た時の人間の脳活動の、「共通部分」と「個性部分」の関係について論じています。
 

ハンガリー語のように、

 投稿者:ブダの丘のふもとで  投稿日:2004年 8月25日(水)16時51分48秒
   全く
類推の利かない言語に出会う度に、
自然言語の絶望を思う。

 英語ができるくらいでいい気になっている
場合じゃない。
 世界に数千あるという自然言語の森の
それぞれに、密やかな想い、切実な喜び、
言い尽くせぬ哀しみがあることを思えば。

 夜、ブダの丘の王宮を見上げるドナウ川
の岸辺を散歩する。
 自己懐疑がなくなった人間はダメだ。
 青年期には、自分が何者であるか、
その疑いと不安定が胸を自然に苦しめるが、
 形を変えて同じことは続いていく。

 どこに行っても英語が通じ、
人々がハリウッド映画を見ていると
思っているお気楽アメリカ人の醜さは、
自己懐疑を持たない者の醜さである。
 永遠の青年の国であるはずの国民が、
若くして老成している。
 
 一人ブダの丘を見上げて歩くような
時間が、今までに何回もあったと思う。
 自分が何者であるか、わかったもんじゃない。
 こうして日本語で自己表現しても、
それが私秘の森にこだまして消えていって
しまうことを思えば。
 その絶望を通り越していない一流の文学者など、
きっといないのではないか。

 聖書のバベルの塔とは、そのことだったかと
思う。
 

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