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9月7日発売の

 投稿者:Public Relations  投稿日:2004年 9月 5日(日)14時44分51秒
  文學界2004年10月号に、

茂木健一郎 「脳のなかの文学」 第7回

「スカ」の現代を抱きしめて

が掲載されています。

 横浜で見たパフォーマンスを端緒に、
現代の文化状況を批判的に論じています。

 一部抜粋

 ある時期から、私は、現代の文化はスカばっか
りだ、と至るところで公言していた。
 ベストセラーにろくなものがないことはもちろ
ん、批評家がほめるような文芸作品だって、後世
に残る傑作だと胸を張れるのはごくわずかではな
いか。
 まともな美意識を持った人間にとって、「スカ」
ばかりがのさばり、マスコミで喧伝される現代は、
ちょうど空気が薄くなって段々呼吸が苦しくなっ
て行くような、そんな生きにくさに満ちていやし
ないか。
 そんな気炎を吐いていた私に、ある日、東京芸
術大学の油絵の学生で、杉原信幸という男から
「挑戦状」が来た。横浜で展覧会をやる。パフ
ォーマンスをやる。つきましては、スカではない
ものをお見せするから是非ご足労願いたい、とい
うのである。

 現代の私たちになじみ深いのは、間違いなく
『好き好き大好き超愛している』の饒舌の方で
ある。携帯でやりとりするメールの海の中で泳
ぐことである。現代人が、資質において堕落し
たのではない。情報環境が変わったのである。
美登利も、平成日本に生まれ育てば、信如とメ
ールをやりとりする今風の娘になっていただろう。
 常に情報を発信し、受け取り、他者の視線に
晒される自分を意識し、情報の化粧をする。情
報すっぴんの状態でなど、人前に出られる筈が
ない。あらゆる言説は、それが他者に与える効
果をあらかじめ計算して発信され、文脈付けら
れ、トラックバックされる。釈迦のごとく、不
記を貫くことなどできない。デジタル情報ネッ
トワーク全盛の世界では、デジタル情報に置き
換えられ、文脈付けられなければこの世に存在
しないのも同じだからだ。無名の若者でさえ、
グーグルで自分の名前がどれくらい検索されて
くるかを定期的にチェックする。美登利の恥じ
らいは、もはや時代遅れの奇跡としてしか地上
に現れない。

http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/index.htm

 

ブックファースト

 投稿者:妖怪出現  投稿日:2004年 9月 5日(日)14時34分49秒
   梅田店は、大阪駅から
阪神百貨店方面に出てその裏にあった。

 今回呼んで下さった那須野さんや、南口
さんと打ち合わせ。
 午後4時からトークショウを始め、
質疑応答、サイン会。

 サインは『茂木の木』と
『フラワーピッグ』の2ヴァージョン。
 終了後、店頭販売の
サイン本用に『脳内現象』10冊に
サインしたので、
ブックファースト梅田店にお急ぎくだされば
手に入るかもしれません。

 NHK出版の大場旦、那須野さんと打ち上げで
曽根崎界わいへ。
 まずはお初天神にお参り。小雨が降る中を
歩き、
イイカンジのダイニング・バーを見つけた。

 「茂木さんがいつも日記で、
ビールを飲み、ドン! ドン! と
テーブルをたたく妖怪オオバタンと書いているので
もっとこわい人かと思っていました」
と那須野さん。

オオバタンはいい気になって
「そうなんですよ、増田健史さんと、茂木さんが
書くわれわれは、茂木さんの
脳内現象に過ぎない、と言っているんですよ」
と吹かしていたが、ビールを2杯、3杯と
重ねるうちに、次第に右手がどん、どんと
テーブルを叩くようになってきた。

 「著者に原稿を書かせる手はいろいろ
あるんですけどね」
とオオバタン。

 「一つの手は、待ち伏せです。駅の改札の
外で待ち伏せるのが一番効果的ですね。
 改札を出たところで、「原稿の方はどうですか」
といきなり言うと、たいてい慌てて「ちょっと
喫茶店でお話しましょう」ということになります。」

 おそるべし、オオバタン。

 妖怪は、深夜になるとパワーを増す。

 午前2時を回った梅田を、ホテルグランヴィア
の方に帰る途中、
 オオバタンは私のジャケットをとって、
「これもらった」と言った。
 そして、「茂木さんは服を選ぶセンスがないから、
このジャケットはぼくがもらって、今度買ってきて
あげましょう」などとよく判らないことを言いながら、
私のリュックをぐいっとつかんだ。
 私は逃げようとしたが、コナキジジイのごとく
怪力化したオオバタンは、ぐいとつかんで離さない。

 その瞬間、オオバタンはまさに徘徊妖怪と化して
いたのだった。あれが、原稿をまきあげる
コツというものであろう。あっぱれである。

 私は、砂かけばばあ、というのは
本当は目に見えないけれども、水木しげるが
想像で書いた、ということや、
 平安時代の文献に、良い女と鬼は見えない
方がよろしいと書いてあることを思い出した。

 見た目のオオバタンは確かに
ダンディーである。
さすれば、
テーブルをドン、ドン、叩き、著者を追い込む
妖怪オオバタンは、私の脳内現象
として確かに私の心の中にだけ存在しているのかも
しれない。

 平安時代には、「心の鬼」という言葉も
あったらしい。
 

Public Lecture (in 大阪)

 投稿者:本日  投稿日:2004年 9月 4日(土)09時20分45秒
  9/4(土)午後4時 ブックファースト梅田店

茂木健一郎トークイベント『脳内現象』(NHK出版)
8/18より各階にて
先着15名様整理券(ドリンク付き席)¥300(税込)で販売いたしております。
当日立見席もご用意いたします。 

下のURLの「イベント」の項をクリックして下さい。


http://www.book1st.net/

 

京都精華大学

 投稿者:Public Lecture  投稿日:2004年 9月 4日(土)09時19分57秒
  アセンブリーアワー講演会

茂木健一郎 『脳から見た美とはなにか』

2004年9月30日(木)14:40〜16:10
京都精華大学 黎明館L101教室

http://www.kyoto-seika.ac.jp/assembly/index.html
 

ロシアの

 投稿者:Sollen  投稿日:2004年 9月 4日(土)09時13分36秒
   チェチェンの悲劇を
見ていると、この世はまさにすさまじいと
思う。
 
 完全なる救済をこの現世で
達成することは所詮かなわない。

 ヨーロッパで教会など行くと、
十字架の前で祈っている人たちの
姿にそれなりに心打たれ、
 自分もそのような姿勢をとって
見たりもするが、
 やはり違和感のにがりが残ることを
否定できない。
 この不完全な世で、欠けたるところのない
調和など得られないということを忘れられない
からだ。

 その意味で、ある種の仏教美術が、
「どうしたら衆生を救えるだろう」
と考えている仏陀を始めとする
偶像の姿を描いている点には
共感する。
 これが答えだ、と確信的に
提示するのではなく、
 むしろ模索の姿自体を尊いとする。
 その方が今の私の気分に合う。

 心脳問題は倫理問題でもある。
 認知とは、行為することで時に
転び、傷つき、脳内の世界把握が変化していく
プロセスであるという昨今のactive perception
の論理的帰結は、
 世界がこうである(Sein)、と認識するという
ことは、すなわちこのように行動すべき、という
Sollenの問題でもあるということである。

 昨日は、朝日カルチャーセンターの後の
第一次飲み会の後、朝起きたら
大阪に向かう前にちょっと走り込みたいから、
二次会にはいかないで帰る、というSollenが、
乱入した筑摩書房の増田健史の「茂木さん、一時間
だけいきましょうよ」という悪魔のささやきに
よって赤ワインの深酒へとSollenしていった。

 タケシに、いっしょに熊本行こうぜ、と
Sollenしたら、
 タケシは、赤ワインを飲みながら、どんどん
そっちの方へSollenしていった。

 そういうSollenもあるけれども、
今年の筑波マラソンに出るべきか、というSollenも
ある。
 しかしこんなに忙しいとトレーニングしている
暇もない。
 それに、今カレンダーを見たら、その日は
東京工業大学でドイツ文学をやっている
旧友、山崎太郎により、
すでに日本ワグナー協会の例会でワグナーに
ついて話すことにSollenされていたのだった。

 ああ、ソレ、ソレ、と生きつつ、秋の気配は
深まって行く。
 

本日

 投稿者:Lecture  投稿日:2004年 9月 3日(金)11時04分38秒
 

朝日カルチャーセンター講座

「脳とこころを考える   仮想すること」

第4回 

18:30〜20:30

新宿、住友ビル48階 朝日カルチャーセンター

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0407/koza/A0201_html/A020101.html

 

熊本市内で、

 投稿者:寂しさの由来する処  投稿日:2004年 9月 3日(金)06時29分7秒
   歴史学者の渡辺京二さんにお会いする。
 『逝きし世の面影』という、
江戸時代を当時日本を訪れた外国人の書き残した
文献から浮き彫りにする本で大変な
評判になった方である。

 1930年生まれの渡辺さんは、河合塾で
教鞭をとりながら、歴史学の研究を重ねてきた。
 ご自宅の書庫には、東洋文庫を始め、
膨大な数の文献があった。

 滾々と湧き出るお話を伺いながら、
ああ、ここに学者らしい学者がいた、
と思った。
 同時に、歴史というものの
難しさというものについて考えさせられた。

 自然科学者は、その性根からして、進化学
を除けば、歴史というものに対して冷淡である。
 歴史は科学の対象ではない、と思って
片づけている。
 私の場合、主観性の問題に目覚めて
科学の方法論の限界を知ったが、
 歴史もまた科学的方法論の外にある。

 では、歴史とは何なのか。その正体が
まだつかめない。
 しかし、次第に、切実な問題として
意識され始めていることは確かだ。
 ポストモダンだかナンダカは知らないが、
現代人の病の本質は歴史というものを切断して
しまった点にあるのではないか。
 渡辺さんも近代文学は終わった、と仰って
いたが、
 どんな作品を創るにせよ、鑑賞するにせよ、
それが歴史的にどのように位置づけられるか、
という意識なしでは座標軸を失う。
 実際に座標軸を失って漂流しているのが
現代なのではないか。

 「今の学生たちを見ているとね、
本当に歴史の重圧から解放されていると
思いますよ」
と渡辺さんは言う。
 大連で育ち、左翼運動に参加し、決別
した渡辺さんである。
 学問することと、生きることが同義だった
世代の矜持が伝わってきた。

 福岡に移動し、桑原茂一さんと
若手人気お笑いコンビ「バナナマン」の
公演Elephant Pureを見る。
 バナナマンは、ちゃんとした脚本に
基づいてシチュエーションコメディを
する若手として注目していて、
桑原さんもコメディ・クラブ・キングや
スネークマンショウでバナナマンと
コラボしている。

 日村勇紀さんが女装して、設楽統さんが
ホテルのボーイの役をやるネタが特に
面白かった。

 終了後、桑原さんの知り合いの夫妻と、
中州近くの「よしおか」へ。
 アラ(関東ではクエ)がどーんと
カウンターのガラスケースに置かれ、
 フグやアラを中心に美味を堪能する。

 世間にはいろいろな生き方があって、
選び、選ばれた生き方の中で、人は
独特の風合いを獲得して行く。
 ちょうど、岩場の穴に棲むクエが、
餌や潮流の影響を受け、
その土地固有の味を身につけて行く
ように。

 「よしむら」の板前さんは、
玄界灘のアラじゃないとダメだと
言った。

 しばらく前(2004.5.27)の日記で
institutionの問題を書いたけれども、
 世間が様々なニッチに分離していて、
それぞれのニッチにそれぞれの人格形成の
力学が働いているということを、
 頼もしくも想い、なんだか寂しくも
感じる。
 渡辺京二さんや、バナナマンや、
目の前の板前さんの顔を想い比べながら、
 胸に去来したのは、温かさと、限りない
寂しさの入り交じった奇妙な気分だった。
 その気分と、歴史に対する切実な関心は
関係しているように思えた。

 桑原茂一さんも、この寂しさはきっと
感じることがあるんじゃないかなあ、
と横顔を見ながら思った。
 

東工大大学院の

 投稿者:歴史  投稿日:2004年 9月 2日(木)09時16分55秒
   入試口頭試問。
 すずかけ台キャンパスの道は
日差しが強く、
 コスモスにヒメアカタテハが
飛来していた。

 自分の経験に照らして見ても、
 大学院の入試で質問したことは一生
覚えているだろうと思って、
 質問を考えた。
 入試としてはもちろん、
受験した人の脳裏に何かが残れば
いいと思う。

 あまり眠っていないので、
少しづつ眠ろうと思って
移動中の
電車の中などで試みたが
読んでいる本が面白くて眠れない。
オモシロサは、眠さに勝つ。

 最終の飛行機で、桑原茂一
さん、吉村栄一さんとともに
熊本に来た。

 飛行機の中で、やっとうとうとする。

 桑原さんの熊本での知り合いの
ヒトがやっている馬焼きと時分料理の
『好信楽』という店にいった。
 有無を言わさず、ビールと馬刺しが
出てきた。
 食用の馬の品種というものがあるらしく、
熊本しか飼育していないらしい。

 馬刺しがうまい、と大げさに驚く
心の底には、やはり何か落ち着かないキモチが
あると思う。
 落ち着かないけれども、おいしかった。

 熊本城は、西南の役の開戦3日前に
焼け落ちたとのこと。
 昭和に再建されたものが建っている。
 刺身になる馬もいれば、
 焼け落ちる城もある。
 いろいろな人生がある。
 見えないものが見えてくる。

 熊本の人は、あまり外に出ず
どっかりと落ち着いているのだそうだ。
 漱石も、宮本武蔵も、小泉八雲も
人生の軌跡の中で熊本を通り過ぎた。
 

台風一過の

 投稿者:白シャツ  投稿日:2004年 9月 1日(水)05時45分2秒
  東京は暑かった。
 
 夕刻、新潮社へ。
 『脳と仮想』などに用いる著者写真を、
写真部のスタジオで撮影するためである。
 文芸の編集の北本壮さんから、
「びしっと白シャツで決めましょう」
と言われていたので、
 札幌でSHIPSの白シャツを手に入れた。

「茂木さんは人当たりが柔らかいですけど、
今日は一つ難しいことを考えているような
シリアスな顔をして下さい」
と言うので、シリアスな顔をした。
 どんな風に映っているのか、
自分で判らないのが恐ろしい。

 見るということを知らないものは、
見られるということの恐ろしさも知らないだろう。
 本当に神が全てを見ていると思ったら、
そんな人生は恐ろしくてとてもできない。
 神も時々は注意をそらすだろう、
と思うことによってやっと生きていく
ことができる。
 厳格なクリスチャンはどうしているのか。
 
 新潮社の近くのBrusselsというベルギー
ビールの店で、北本さんとお話しする。
 北本さんは今画家のフランシス・ベーコンの
伝記の翻訳本の仕事をされている由。
 もともと、翻訳文学がやりたくて
新潮社に入ったとのこと。
 フォーカス編集部を経て、現在に至る。

 特にアメリカの現代ものが好きだというので、
ピンチョンやバースなど、いろいろネタを
教えていただいた。
 ポストモダンからミニマリズム、そして
今またポストモダンという揺り返しがあるらしい。

 知のデフレがそういつまでも続くはずがない、
生物としての本能が、揺り戻しを引き起こすだろう、
そう思って、フランシス・ベーコンとかをやっている
と北本さんは言っていたが、
 まさにそうかもしれない。

 昨今の日本の知のデフレは、そのうち、
単にそういう気分
だった、ということになるのではないか。
 経済は一足先にデフレを脱しつつある。

 朝夕がひんやりと冷たくなってきた。
 懸命に鳴く虫たちは、まさか私が
その声を聞いて感慨にふけっているとは
思うまい。
 

予定していた飛

 投稿者:分泌者  投稿日:2004年 8月31日(火)10時31分23秒
   行機がちょう
ど台風にぶつかりそうな
ので、その前に飛んじまおうと
ソッコーで千歳に来たが、
 結局まだ飛べないでいる。

 日本建築学会の
シンポジウムは、とても勉強になった。
 建物をつくるヒトタチの学問体系は、
建物のごとくがっちりとしてくるということが
判った。
 人は、自分がつくるものに似てくるのか
もしれない。
 数学者は数式に似てくる。
 詩人は詩に似てくる。
 音楽家は音楽に似てくる。

 生み出すものは、内部の何かが
分泌されるものだと思えば、
 それもまた当然と言えるのだろうか。

 汝と汝の分泌するものが、
世の人に愛されるようにせよ。
 

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