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三島由紀夫の

 投稿者:解毒剤  投稿日:2004年 9月13日(月)07時14分19秒
   「学生との対話」
(新潮社から出ているCD)を聴きながら、
両親の家までドライヴした。

 いきなりサドの文学に見る
人間の本性の問題から入り、当時のチェコ情勢を
引き合いに出して国家と自由の問題を論じる。

 「豊饒の海」を読んで以来、
 「天人五衰」というメタファーがずっと
アタマを離れない。
 三島はやはり額縁の人だと思うが、その額縁を
しっとりと愛することもできるように感じる。

 公民館で絵画展をやっていて、
母親がしきりに、「こんなにうまい絵は滅多に
かからない」などと言っている。
 それじゃあ、と行ってみたが、やはり
田舎の展覧会だった。
 じゃあ、洗練とは何なのだろう、と考えはじめたら、
そこに案外難しい問題が横たわっている
ことに気が付いた。
 国家と自由くらい難しい問題である。

 美という感性の問題に忍び込む政治性の
問題である。

 洗練と言えば、お洒落な雑誌に載っている
コマーシャルフォトは洗練されている。
 じゃあ、それが芸術なのかと言われれば
首をかしげる。
 一方、土俗的なものは芸術たり得ないのかと
言えば、そうでもない。

 公民館でやっていた展覧会の田舎性は、
昭和の「文化住宅」のダサさに似ていた。
 しかし、文化住宅が芸術になる回路もあるかも
しれない。

 そんなことを考えながら、雑木林に行くと、
そこには子供の頃、慣れ親しんだ自然がある。
 アカスジキンカメムシの終齢幼虫を見つけた。

 幼虫は、チェコも共産主義も
ダサさも洗練も関係なく、きょとんとした
風情でフジの木にとまっている。

 文脈化され、検索され、ネットワーク化
される現代の空気がイヤになったら、
自然という解毒剤を服用すると良い。
 

波照間のニシノ浜にて

 投稿者:写真部  投稿日:2004年 9月12日(日)21時23分47秒
  バカ4人衆

左から、イソギンチャクちくちく石津、かものはし関根、バッカ茂木、
うるさ型田谷



 

持ち帰った

 投稿者:波の照る間  投稿日:2004年 9月12日(日)07時03分50秒
   サンダルのしっとりとした
塩の感触だけが、
 波照間の名残を伝えている。

 波照間の食堂で、私が一番好きな沖縄民謡、
「月ぬ美しゃ」がかかっていた。
 NHKのみんなの歌で聞いて好きになった。
 放送は1972年のことだったらしい。

http://www.interq.or.jp/orange/mitumi/utakan/utafile/43060.htm
 
 月がきれいなのは十三夜〜 娘がきれいなのは
十七よ〜

 どうも、波照間あたりのことのような気がする。

 波照間はいつも風が吹いていて、
それが何か新しいものの気配を運んで
くるような気がした。

 スチューデント・ムーヴメントの頃の、
これまでにない、新しい何かが来る、
という予感をはらんだフォークソングが好きだ。
 都会には風がない。
 インターネットには風が吹いていない、
とパワーブックの上に置かれた我が手を
じっと見る。

 なんとなく余韻に浸っていたくて、
椎名誠の離島エッセイを久しぶりに買った。
 『波のむこうのかくれ島』
である。

 硫黄島や、宝島といった、グローバリズム
からかくれんぼしているような島の話を読んでいると、
妖しくも熱く血がたぎってくる。

 研究室合宿で、というのは無理だとしても、
いつかこれらの島を訪ねてみたい。

 あまり波に照る月の光のことばかり考えている
と、秋が深まりつつある東京に不適応に
なりそうなので、
 とりあえずシャカシャカ働き始める
ことにする。

 しかし、シャカシャカと書くと、あの、
砂浜から海に真っ直ぐに横走りしていった
波照間のカニを思い出してしまって、
 困るのである。

 どうも、病気にかかったらしい。
 

朝一番の

 投稿者:不思議なものたちの気配  投稿日:2004年 9月11日(土)20時15分3秒
  高速船で波照間に着くと、
学生たちが全員総出で迎えてくれた。

 「日本最南端」波照間Tシャツまで
プレゼントしてくれた。
 うれしい。

 ではでは、と港の食堂で「まぼろしの泡盛」
泡波を飲み、カレーを食べる。
 民宿「勝連」のお兄さんの車で、まずは
最南端の碑を見て、民宿へ。
 ニシノ浜までぶらぶら歩く。

 私はうかつにも水着を持って行くのを忘れ
たのだけど、
 まあ、いいや、と
 半ズボンでどぶんと水に入った。
 シャツも脱ぐ、時計も脱ぐ。みんな脱ぐ。
 この、ドレス・ダウンのプロセスが何者
にも代え難くうれしい。

 な〜んにも持って来なかったので、
ただ波に浸かってふらふらしようと思っていたが、
田辺がシュノーケルを貸してくれたので、
わっせ、わっせとマジで潜りはじめた。
  
 イソギンチャクがいて、そこにカクレクマノミが
いた。
 石津がかわいい〜と近づきすぎて足がイソギンチャク
に触れ、ぷくっと赤くなった。
 アンモニアがいいんじゃないか、おい、
男は一列にならべ、と冗談を言っているうちに、
ライトバンで浜に来た真っ黒なおっちゃんから
原料の良く冷えたオリオンビールが手に入った。
 
 準備は整ったが、
 石津が、その治療を固辞したのは残念だった。
 
 ニシノ浜からほど近い八重山民謡が
流れる食堂でメシを食い、浜を変え、波打ち際で
波に壊される前にどれくらい長い「万里の
長城」を作れるか勝負した。
 波に消される前に、どれくらい長い波線を
描けるか、指をすなに潜らせながら
だーっと走り回った。

 星野、蓮沼、関根は、砂浜の穴に潜む
カニを見つける競争をした。
 星野が深い穴を掘って、砂まみれの
尻を出した。
 カニが飛び出して、関根がわっと飛び退いた。

 カニは、まっしぐらに海に向かって横走りし、
あえなく田谷のゴーグルにつかまって、
しばらく手の中で凍っていたが、
やがて無罪放免となり、大海原に飲み込まれていった。

 星空食堂で古酒を飲み、三々五々真っ暗な
サトウキビ畑にタチションに行った。
 割り箸や流木を燃やして、
チロチロと動く炎を見つめた。

 泡盛を買って、街灯もなーんにも
ない真っ暗な道を歩いた。
 関根が、「何にも見えないよ」と言いながら
無灯火の自転車を疾走させた。
 こっちだよ、いや、あっちだ、と道に迷いながら
帰った。
 恩蔵と柳川が追いかけっこし、
 須藤と星野がぶつぶつ喋り、
小俣がふらふら歩いた。

 そんな我々を、波照間の風が包んでいた。

 深夜、民宿での酒盛りを抜け出して、
真っ暗なサトウキビ畑の
中の道を歩いた。
 大きなコウモリが、蛍光塗料を塗ったように
ぼんやりと光りながら、ゆったりと星もない
空を舞っていた。

 不思議なものなど、いくらでもある。
 それが何者か判らない、ということではない。
 たとえ何者かは見当が付いても、
 私たちの心の中にそれが立ち現れる姿が、
不思議な気配を見せる、そんなものはいくらでも
ある。

 そういうものがある限り、この限りある生を
生きていたいと思うのである。

 翌朝、朝一番の高速船に乗って、石垣に帰った。
 熱帯低気圧の影響でずぶんずぶんと揺れた。
 白波のうねりを見つめながら、
 たった24時間しか滞在しなかった
波照間が私の心と身体をすっかり変容
させてしまったことに驚いていた。

 南の島に来るたびにこうなる。
 チビクロサンボの虎のように、
芯まで溶けてバターになってしまうのだ。

 いい合宿だった。
 秋から学問に、芸術に、邁進できそうだ。
 おい、がんばるぞ。

 秋の気配を感じながら、
 浜松町で、村上春樹の「アフターダーク」
を手に入れた。
 

合併問題が気になって

 投稿者:ふらふら  投稿日:2004年 9月10日(金)06時23分3秒
  飛行機の中でスポーツ紙をもらって読んでいたら、
なんだか存在論的不安にかられてしまった。

 「おじさん」向けに書かれている釣りの
記事や、サラ金の広告を見ていて、
 忘れていたこの世界の生臭い実存に
触れてしまったような気がしたのである。

 そんな感じは、小学校の時、学生科学展の
展示に向かう、先生と乗っていた乗用車の
ラジオから聞こえる番組にも感じたことが
あった。

 石垣空港に向けて飛行機が高度を
下げ始めた時、
 美しいサンゴの海を、緊張感を持って
見つめていた。
 いつからだろう。美しい自然の光景の
背後に、血なまぐさい生存競争のあることを
思うようになったのは。

 ホテルにチェックインし、夕食を、
「なるべく地元の人が行く、小さな居酒屋」
でとろうと思って歩き始めた。
 30分くらい街をぶらぶらして、
「八重八」という店を見つけた。

 カウンターに先客が3人いて、「ママ」
と軽口を叩いている。

 とりあえずビールください、というと、
それじゃあ、乾杯、と自分も半分くらい
飲みかけのビールを持ってきた。

 何かオススメのものはありませんか、
と尋ねると、
 あら、旅の人だったかね。
と言われた。

 テレビでは、『クイズ・ミリオネア』
をやっている。
 「さようなら」の「さ」は漢字で
書くとどれ?
 というような問題が出るたびに、私の
方を見て、「お兄さんはどう思うね?」
と聞く。

 東京を遠く離れて見る民放の番組には
独特の味わいがある。
 違う風土や文化の中に住む
人たちが、みのもんた、
という一つの中心を見つけて歩みよる。

 近代の国民国家は、テレビによって
完成したか。

 つまみを食べ、ビール2杯を飲んだ後、
八重八を出て、ソーキそばを食べに出かけた。
 一緒に頼んだ古酒の味で、
なんだか落ち着いた気分になった。
 

オレの学生は、

 投稿者:ブレインクラブ、南へ。  投稿日:2004年 9月 9日(木)10時04分46秒
   みな沖縄に行ってしまった。
 田谷、柳川、関根、小俣、恩蔵、須藤、田辺、
それに、芸大から蓮沼、早稲田から石津。
 英国のキール大学から一時帰国している星野。
 
 みんなして、波照間に行ってしまった。
 いわゆる「合宿」である。

 波照間というのがまた遠い。
 石垣島への直行便は一日一本、朝6時30分
発というのしかなくって、
 あとは那覇で乗り換えていくことになる。
 石垣からはフェリーで1時間である。

 私も行く予定なのだが、仕事などが
あっていろいろグズグズしている間に、
 どうやら今日は石垣までしかたどり着かない
状況になってしまった。
 とりあえず石垣まで行って、明日の
朝一番のフェリーで波照間に向かうことに
する。
 
 石垣はかろうじてインターネットが通じるので、
そこで仕事を終わらせてからジョインすることに
なりそうだ。

 去年、彼らは広島の宮島や
原爆ドームに行ったのだが、
私が仕事の都合で
行かなかった
ことをいつまでもぶーぶー言っている。
 今回も、私が「沖縄行くの遅れる
かもしれない」と言うと、
柳川が、「えーっ。またですかあ」
と目を光らせた。

 確かに、組長としては、いざと言うときに
いかないと沽券にかかわる。

 どうせ、柳川がまた延々と議論を吹きかけて
くるだろうし、
 たまには、柳川の議論に5時間も6時間も
徹底的に付き合うのはいいのではないかと
思う。
 蓮沼がどんな絵を描くかも楽しみだし、
 関根とマジック勝負をするのも良い。

 というわけで、とりあえず石垣に
向かうことにする。

 竹富は何回か行っているけれども、
波照間は初めてである。
 ぱっと行って、
 土曜に彼らより一足先に帰って来ようと思う。
 

タイトな一日。

 投稿者:反生命からの逃亡  投稿日:2004年 9月 8日(水)08時02分47秒
   朝の定期健康診断から始まって、
ソニーの原岡さん、福嶋さんとの飲み会
(赤坂、「うまや」にて)まで、
ぎっしりミーティング、取材が詰まっていた。
 
 健康診断というのはどうも苦手である。
 健康になるどころか、診断されるだけで
病気になるような気がする。
 白衣や、消毒された針、というものが
そもそも反生命的な気がする。
 その上、
 尿をとったり、血を抜かれたり。
 あのような、分析的なプロセスそのものが、
生命という有機体の解体を思わせる。

 これが、日の当たるバルコニーで、
カウンセラーに、「最近からだの調子は
どうですか?」
 「いやあ、酒がうまいですなあ」
 「何がお好きですか」
 「やはり、ビールですかね」
 「あまり、過ぎないようにしてください」
 「はい、そうします」
 「それでは、そろそろビールでもお出ししましょう」
・・・・
となれば、反生命的な感覚はなくなるのだが。
 
 無菌、分析的という近代医学の文法自体が、
どうも苦手、ということである。
 もちろん、サイエンティフィックに行こうと
思えば、そうせざるを得ないことは重々承知している
のだが。

 ミーティングとミーティングの合間、必死に
なってプレゼンテーション資料をつくって
いると、柳川透(博士2年)
がいろいろ話しかけてくる。

 「茂木さん、やっぱり、アウェイクのデータを
見ると、ツーピークにはなっていないんですよ。
そういうのを見ていると、アリエリらのデータの
有効性がますます疑われてきますねえ」
 「やはり、自発発火の機能的意義は、まずは
情報の伝達ということになると思うのですが、
そうするとベネットやランダウアーらの情報熱力学
の議論との関係はどうなるんですかねえ」

 私は、「うん、それはね、こういうことだと
思う」とかいろいろ言いながら、手は
プレゼンテーションを作っている。
 なにしろ、20分後にはお客さんたちが
来て話さなければならないのだ・・・・

 というような綱渡りの生活を続けているけど、
あまりストレスは感じない。
 健康診断の問診表には、
「死にたくなることがありますか」
とか、
 「うまく考えがまとめられないことがありますか」
とか、いろいろオソロシイことが書いてあるけれども、
今のところそういうことはないので、大丈夫だ。

 しかし、相変わらずうまいものが食いたい。

 朝の反生命の一撃の余韻を払わんと、福嶋さんが
アレンジしてくださった「うまや」に出かけたが、
ここは市川猿之助がプロデゥースした店なのだった。
 尊敬してやまない猿之助は、病に倒れている。
 一日も早く、元気な猿之助の「四の切」が見たい。

 うまい酒と鶏、楽しい会話のおかげで、
精進落としできた。
 人生、やはり楽しくなければならない。

 それにしても、
 病に倒れた時、衛生上の必要があるとは言え、
反生命の気配に包まれなければならないのは
いかにもやり切れない。
 誰か、本気で病院のあの反生命の
文法を変える気の
ある人はいないか。
 せめて、気分だけでも、タンポポやヒマワリに
囲まれて気の合う友人たちと語り合っている、
そんなクオリアを与えられれば治癒実績も
明確に変わってくると思うのだが。

P.S.
 昨日の日記にご登場の
有田芳生さんのwebpageは、下です。

http://www.web-arita.com/

 

怒り

 投稿者:感情的人間  投稿日:2004年 9月 7日(火)07時57分59秒
  というのは何なのかなあ、と思う。

 先日、アマゾンで茂木さんの本の悪口を
ストーカーのように書いている人が
いますよ、と教えてくれたので
久しぶりに大河を見てみたら、
確かにそういう人がいた。
 私が、怒った時どうなるか知っていたら、
こんなことはしないだろう。
 小学校の頃から、口げんかで負けた
ことはない。

 そうやって散々怒鳴り合ったあとで、
仲良くなる、というのが大抵のパタンだが。
 アマゾンも、もう少し書評のクオリティを
高める努力をしたらどうか。
 (検閲などしなくていいけど)

 池上高志、郡司幸夫といった
親友と共通する私の性格は、
 怒りを感じた時に、たいへん饒舌になるという
ことである。
 最近も、あるミーティングで
ちょっと怒ってしまって、
 ばあばあばあ、いろんなことを
言ってしまった。
 私は、不誠実とか、欺瞞とか、
そういうものにどうも敏感で、
 どーんと爆発してしまう。

 しかし、爆発したあとは、案外きれい
さっぱり、すっきりしている。

 怒りとはいったい何なのだろう、と
思うのは、この、後がきれいさっぱりに
なるという傾向で、
 どうやらロジックで怒っているのでは
ないらしい。

 無意識のうちに様々な要素が総合されて、
怒る、という決断に達するわけであるが、
そのような個々の要素は残りはしても、再び
束ねられない限り、怒りのしきい値に達する
ことはない、ということだろうか。

 以前、河川敷や砂浜など、広々とした
いい景色のところに来ると、突然全速力で
走り出す
「こわいランニング」(別名こわラン)
というのに凝ったことがあるけれども、
 私の怒りは、あの「こわラン」と同じように、
聖なるパフォーマンスとしての怒りなのかも
しれない。

 そんなことをつらつら考えていたら、有田芳生
さんから、未練を断ち切るとはどのようなこと
なのでしょうか、と質問のメールが来た。
 怒り、未練、納得。。。まるで演歌の世界の
ようであるが、
 確かに人間はロジカルである以上に演歌な
存在なのだ。

 池上や郡司にとって、
怒りとは何なのかについては、
本人たちに聞いてください。
 

本日発売の

 投稿者:Public Relations  投稿日:2004年 9月 6日(月)07時47分16秒
  「ヨミウリ・ウィークリー」
(2004年9月19日号)に

連載 茂木健一郎 「脳の中の人生」
第19回

なぜファンタジーに魅了されるのか


が掲載されています。

最近報告された「スケール・エラー」
という認知現象を手がかりに、人間がファンタジーに
魅惑される秘密について考察しています。


http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

 

ブダペストー>

 投稿者:きれいさっぱり  投稿日:2004年 9月 6日(月)07時43分31秒
  札幌ー>熊本ー>大阪
と休みなく続いたロード生活も終わりを告げ、
しばらくは東京にいる。

 どうも疲れがたまっていたらしい。
 今朝は、いったん起きて、また眠ってしまった。

 その時、鮮明な夢を見た。

 たまたま目が覚めた時に記憶が残っていると
それと判るが、
 どうも、忘れている時にもかなりの確率で
夢というものは見ているように思う。
 見て、単に忘れているだけではないか。

 時たま覚えている夢の内容からすると、
かなりシュールで複雑な夢を毎回見ているらしい。

 その時は、豊かな内面生活があるのに、
終わると何も残っていない。
 これは時間のスケールをちょっと延ばしてみれば、
人生そのものじゃないか。

 自分のお祖父さんがお風呂の中で
「しらざあ言ってきかせやしょう」などと
よくうなっていたことや、
 うまそうにキセルを吸っていたことは
覚えているが、明治生まれのこの男が
 どんな内面生活を送って来たのか、
きれいさっぱり消えてしまった今となっては
知らない。
 
 お祖母さんとは大恋愛だったとか、
 関東大震災の時に、上野の山に逃げたら、空が
真っ赤だった、とよく話していたよ、
と父に聞かされたことは何回かある。

 祖父のような無名の人でも、
夏目漱石のような有名人でも、
 死ねばその体験が全てきれいさっぱりなくなる
という点においては同じだ。

 自分の体験したことを覚えているとは言っても、
それは所詮生きている間だけのこと。
 時間をぐるぐる回せば、全ては消えて
何も残りません。

 それならば、せめてその消えちまう
体験を豊かなものにいたしましょうか。
 さっそく、疲労回復のためにうまいものでも
食うことにしよう。
 

以上は、新着順31番目から40番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
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