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子供っぽいところが
あるのだろうが、
「ダ・ヴィンチ・コード」
のようなものをどうしても読む気にならないのは、
ケッ、何でオレがおまえらの神話体系に
つきあわなくちゃいけないんだよ、
と思うからだろう。
キリストとか、聖杯とか、そういうもんが
世界とイコールだと思っている傲慢さが
イヤなんだろう。
じゃあ、おまえらは、「空海と密教の秘密」
を喜んで読むのか、と子供のように反発する。
実際、子供なんだから、仕方がない。
特に、アメリカとか、ハリウッドとか、
そういう気配が絡むとだめだ。
自分たちの関心を持つものに、世界中の人たちも
関心を持つはずだ、と信じている人たちの
放つ魂の腐臭から私は逃走し続ける。
ブレストで、北野宏明さんと話した
ことがおもしろかった。
ヴィジョナリー(visionary)とは何か、
という話になって、
ヴィジョンも重要だが、実務的な
能力もまた大切なのではないか、
ということを議論した。
壮大なヴィジョンも、それを実現する
道筋は気が遠くなるようなディテールの
積み重ねである。
北野さんは、ヴィジョンというのは
実は論理的な帰結として出てくるものだと
言ったが、賛成である。
緻密な論理構成なしの誇大妄想が
人を引きつけるはずがない。
クオリアにしても、これが重要な
問題だという命題は、機能主義や物理主義の
論理的帰結を吟味すれば火を見るより
明らかである。
その所在に気がつくのはインスピレーションかも
しれないが、
心脳問題は実は論理的な帰結である。
あとは、地道にディテールを積み重ねて
いくだけだ。
ヴィジョナリーと実務家は対立概念ではなく、
幻視者と実務家の両方の資質を兼ね備えた
人にして、
はじめてヴィジョナリーとなり得るので
あろう。
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