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ということは
基本的に良いことのように
思えるけれども、
同時に、深く愛しているものが、
その人の弱点を表す。
残暑の街を歩きながら、そんなことを
考えた。
愛するものが、酒や煙草なら、
なぜそれが弱点になるかはわかりやすいが、
問題は高尚に思われる精神的対象の場合である。
子供の時、私は巨人の星を愛していて、
飛雄馬のマネをして投球練習をしたものだが、
飛雄馬の目の炎に世界が映し出されている、
と思っている
ところに、大人の私から見た弱点が
現れていたことは間違いない。
中学の時は「赤毛のアン」シリーズを
愛読したものだが、これも今から見れば
微笑ましい。
自分の愛しているものを書き出した
時に、それは自分の現時点での可能性の中心を
表すとともに、同時に、自分の微笑ましくも
恥ずかしい弱点を表してはいないか。
もっとも、ここで「弱点」というものは
必ずしも劣等、発展途上を意味しない。
何かもっと香ばしい人間くさいものの
気配がそこにはまとわりついている。
小林秀雄、リヒャルト・ワグナー、
ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン、
アルベルト・アインシュタイン、
小津安二郎、夏目漱石。
私がクオリア・マニフェストのトップ
頁に掲げたこれら愛する者たちは、
私のどんな弱点を表しているのだろう。
ユング風に言えば、憎むもの、嫌いなものは
自分の影だと言うが、
影との付き合い方を学ぶことで、人は
弱点を埋め合わせていくのだろうか。
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