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お知らせ

 投稿者:茂木健一郎  投稿日:2004年 9月28日(火)08時11分21秒
  クオリア日記は、
2004年9月28日から、

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/

に引っ越しました。今後ともよろしくお願いいた
します。
 なお、当分の間、こちらの過去ログは
そのまま表示いたします。
 

お台場の

 投稿者:魂の姿勢  投稿日:2004年 9月27日(月)07時53分11秒
   科学未来館に行くのは
始めてだった。

 ちょっとドキドキしながら、大崎から
りんかい線に乗った。
 本を読むのをやめて風景を
見ようと思ったら、
ずっと地下だった。

 福原哲郎さんや、黒谷明美さん、
的川泰宣さん、吉村浩一さん、
松本信二さんとシンポジウム。

 黒谷さんが見せてくださった、
無重力状態で一生懸命姿勢を制御する
カエルの姿がいじらしかった。
 
 無重力状態。
 たったひとつ、パラメータが
変化するだけなのに、
 全く違う世界に投げ込まれて
しまう。

 アマガエルは、それでも、
普段から樹上に
行くので落下に「慣れて」いて、
それなりの姿勢をとるが、
ヒキガエルやアフリカツメガエルは
そのような生活史がないので、
どうしていいか解らず、
あげくの果てにグルグルとスピン
してしまうというのだ。

 ふと、自分で重力を作り出して
いるのかなあ、と思った。
 素粒子からカエル、惑星まで、無重力
状態では、回転することが
ひとつの安定状態であるという
メタファーについて考える。

 フィギュア・スケートのスピンは、
右回り、左回りの癖があるのだろうか。

 的川さんは、どんどんロケットを
つくって、みんなが宇宙に行くように
してくださるそうだ!
 長く生きていきてよかった、
とみんなで思いましょう。

 後半のパネル・ディスカッション
のコーディネーターの粟野由美さんと
控え室で
少し話したのがおもしろかった。

 現代美術における文脈主義の
問題。
 何かのコンペで粟野さんと村上隆が
一緒になり、
 村上隆が、自分の作品の意味を論理的に
説明して、
 外国人審査員への受けが良かった、
という。
 
 私はアーティストは作品が全てであって、
その意味などについては無記を貫く
べきだと思う。
 それがクオリア原理主義からの論理的
帰結だが、
 そう思わない人が彷徨する世間という
ものがある。
 
 美とは、意味という接地が奪われた
無重力空間で私たちの魂がとる姿勢の
ことではなかったのか。

 地べたを歩き回るのが好きな
人は、きっと
いぶかしげに上空を見上げる。
 

明日発売

 投稿者:Public Relations  投稿日:2004年 9月26日(日)08時33分12秒
  の「ヨミウリ・ウィークリー」
(2004年10月10日号)に

連載 茂木健一郎 「脳の中の人生」
第22回
猿でも自省するのに


が掲載されています。

猿のメタ認知の実験を取り上げ、自分
自身の内的状態を省みる脳のはたらきに
ついて論じています。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

 

本日のシンポ

 投稿者:Symposium  投稿日:2004年 9月26日(日)08時30分8秒
  @科学未来館




http://spacedance.sitego.to/4_FS.html

 

餅は餅屋というが、

 投稿者:どさ回り  投稿日:2004年 9月26日(日)08時27分51秒
   さすがだなあ、
と感心しながら聞いていた。

 「科学大好き土よう塾」http://www.nhk.or.jp/daisuki/
の収録で、カメラ・リハーサルが終わり、
本番前の打ち合わせ。

 映像をどのラインからどう混ぜてどう出すか、
という議論を、NHKの上野さんや高橋さん、
テレビマン・ユニオンのラガーマン花野
がやっている。
 何のことだか、全く解らない。
 ある映像の混ぜ方をすると、次の映像を
タイミング的に出せるかどうか、ということを
熱く議論しているのだが、まるで結び目理論
の数学を聞いているようで、アタマの中に
?がたくさん飛び交った。

 塾長の室山哲也さんと、夏休み談義をする。
 室山さんは、息子と宇宙の果ての話とか、
時間の話をして、大学受験を控えている
息子は、興奮して午前4時まで眠れなかった
そうだ。
 確かに、そんなことが私にも
あったような気がする。
 そのような夜は、間違いなく青春の貴重な
思い出になる。

 有田芳生さんの「コメント力」を鍛える
という好著がある。
 その中に、「テレビでのコメントは言い切らなければ
ならない」とある。
 
 有田さんがご自身の体験に基づいて
書かれているように、「言い切る」
 このことの大切さや、難しさは、私も
「土よう塾」のコメントを何回かやってみて、
体感できた。
 
 今回のテーマは「色を見るメカニズム」だったが、
そのことについてはもちろん私もクオリアが専門
だからいろいろ言いたいことはある。
 しかし、短い時間で小学生を中心とする
視聴者に何を伝えられるか、といえば、
テーマや言葉を絞るしかなく、
 その中で予定調和ではない、何か心に
残ることを言おうと思うと、
 有田さんが書いているように、膨大な
知識と経験の裏付けが本当は必要なのだと
思う。
 
 有田さんの引いている毛沢東の
「調査なくして発言権なし」という言葉は、
いろいろ考えさせられる言葉だ。

 今回は、ジャングルの中での色覚の進化の
問題と、見えるものと言っても色だけじゃなくて
透明感や金属の光沢もあって、それもまた
RGBでつくられていることの不思議に
関するコメントをちょこっとすべり込ませる
ことができた。
 放送は10月2日(土)の予定。

 『脳と仮想』を五冊持っていって、室山塾長
や中山エミリさん、NHKの南さんや高橋さんなどに
「お時間があれば読んでください」と渡す。

 まるでドサ周りの演歌歌手である。

 ほっと一息ついて、新宿で田谷文彦と
待ち合わせ、研究の話などをしながら
タイ料理を食べる。
 ラガーマン花野に電話して誘おうと
思ったが、携帯の電池がいかれてしまって
果たせず。

 メニューの横に、「タイ国政府公認」
とあり、
 それと気がつけば、確かにタイ国王の
肖像写真がキッチンの上に掲げてあった。
 写真は、あくまでも清く正しく美しかった。
 

僕は、

 投稿者:ダンディーとのひととき  投稿日:2004年 9月25日(土)08時47分55秒
   一日十数時間練習するピアニスト。。。

 そんな感じで、祝日の一日、キーボードを
叩いていた。
 仕事は翌日にも持ち越されて、
ゼミで私が論文紹介の番だったのに、
 読む時間が全くなくなった。

 パスさせてもらおうと思ったが、
沽券に関わる。
 山手線の十数分間で、ぱーっと『サイエンス』
の利他的行動に関する論文を読み、
遅れてついたゼミで、
さっとポイントを紹介した。

 修士に入ってきた時は、論文紹介の論文を
読むのに、何日もかかったりする。
 それが、次第に早くなってきて、
「プロ級」になると、山手線でぱっと
論文を読んで、それを人に説明できる。

 このたとえ話は、わかりやすいらしく、
なるほど、大学院というのはたとえばそういう
訓練をするところなのですね、と納得してくれる人が
多い。

 英語力も絶対に必要で、関根のように、せっかく
理解能力があっても、論文のコピーに
単語の訳がたくさん書き込んであるようでは
まだまだである。
 
 仕事を終え、
 綱渡りするようなタイトな時間の後で、
筑摩書房の増田健史とゆっくり酒を飲んで
話せると思うと、四谷三丁目の
「無門」(そば屋)に向かう私の口元は
ほころんでいた。

 ダンディー増田は、原稿のことをねちねち
言いつつも、三冊本をくれた。坂口安吾が二冊、
坂部恵が一冊。
 もちろん、執筆の参考に、というわけである。
ありがたい。

 酒をちびちび飲んでいたら、「茂木さんが
『教祖の文学』を読んでどんな感想を持つか
早く知りたいから、ここで読んでください!」
と言う。
 安吾が、小林秀雄のことを愛情をもって
批判した文章である。
 
 読みながらニヤニヤしてしまった。
 おもしろい。
 批判をしていることはしているのだが、
批判の対象として取り上げている事柄が、
いちいち壺にはまっている。これは、確かに、
小林を愛している人にしかできない芸当だ。

 去年、小林秀雄が水道橋のプラットフォームから
墜落して不思議な命を助かったという話をきいた。

 美しい「花」がある。「花」の美しさというもの
はない。

 生きている人間なんて仕方のない代物だな。
何を考えているのやら、何を言い出すのやら、
仕出かすのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、
解った例があったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。
其処に行くと死んでしまった人間というものは大した
ものだ。何故ああはっきりとしてくるんだろう。
まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている
人間とは、人間になりつつある一種の動物かな。

 常に物が見えている。人間が見えている。見えすぎて
いる。どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ。
そして、見て、書いただけだ。それが
徒然草という空前絶後の批評家の作品なのだと
小林は言う。

 もうやめるが、安吾が噛みついている
小林の文章、エピソードの引用の仕方はまさに
壺にはまり、愛に満ちている。
 世の中には、
 こんなおもしろい文章があるんだな。
 ダンディー、ありがとう。
 講談社文芸文庫に入っています。

 焼酎のオンザロックを飲みながら
 ダンディーが言っていた、福田和也が
柄谷行人と小林秀雄の類似点から出発しつつ、
最後はその相違点を指摘したという文章を
そのうち是非読んでみたい。
 

私の大学院の時の

 投稿者:Lucky Strike  投稿日:2004年 9月24日(金)05時36分11秒
  先生は生理学者だったから、
研究ノートの付け方は、生理学流のものを
おそわった。

 ケンブリッジで皆使っている赤と黒の
背表紙のノートに、その日にやった実験について
必要なことを記述する。
 実験研究者にとって、このノートは、
出版した論文のデータが真正なものか検証
する必要がある時には提出しなければならない、
とても大切なものだ。

 なぜ毎日日記をつけているのか、
時々自問することがあるけれども、
 私にとって、この日記は、
日々私を訪れる認知的なゆらぎ、覚醒、
惑いを記録する、
 人生という実験のノートなのかもしれない。

 『脳と仮想』の表紙デザインの
評判は大変よい。
 加熱すると透明になる
 特殊な紙を使っている。
 文字は透明で、裏のオレンジ色が
ぼんやりと透けて見える。
 思わずさわりたくなるような
表紙である。

 もし、「ノルウェーの森」のように、
デザイン力で売れるということがあるならば、
この本はバカ売れするはずなのだが。

 内容も、もちろんまじめなものですが、
サンタクロースは存在するのか、という問題に
脳科学の視点から解答した、
 「癒し系」の本でもあります。

 誰でも、本を最初に出版する時には、
「ばーん」とバカ売れすることを
夢見るモノだが、
 世間はそうが問屋が卸さない。
 徐々に、「この程度売れればいい」
という間合いのようなものがわかってくる。

 私の場合、「この程度」というのは
2万数千部、という感じで、
 5とか10とか一度は行ってみたいものだ。

 先日、ミュンヘンに行った時に、
ヒトラーが最初に政治演説をしたと
いうホーフブロイハウスでビールを
飲みながら、
 ああ、ここに筑摩書房の増田健史や、
NHK出版の大場旦など、
 ビール好き(というかビール命)
の編集者と一緒にビールを飲みに
来たいなあ!
 と思った。

 ここで、デフォールト1リットルの
大ジョッキでビールを飲みまくったら、
どんなに愉快だろうなあ、と思った。

 2泊4日、ビールの旅。
 朝10時からビールを飲み、午後2時頃
ホテルに帰り、午後6時まで熟睡して、 
午後6時から再びビールを飲む、
というプラン。
 他になーんにもしない。
 ミュンヘンのビアホールは、それ自体が
文化的祝祭空間なので、それで十分旅した
ことになるのだ。
 
 それで、「とにかくどの本でもいいから、
10万部売れたら、ご招待しますよ!」
と増田健史や大場旦に言った。

 そうしたら、おもしろいことになった。
 先日、講談社のフラウ編集部にいる大場葉子
さん(大場旦さんのパートナー)が来た時に、
 「旦さんたら、この前、寝言で、
『茂木さんとミュンヘンにビールを飲みに
行くのが楽しみだなあ』と言っていたんですよ」
と言う。

 旦さんが怒るから
 言わないでくれと言われたけど、あまりにも
おもしろいので書いてしまうのだ。

 本屋でチャップリンの「黄金時代」の
DVDが500円で売っていたので、
思わず買ってしまった。
 冒頭、男が金を掘り当てるシーンがあり、
Lucky Strikeと字幕が出る。

 Lucky Strikeー>ミュンヘンでビール

 こうやって、文字にして、祈願しておく。
 

現地時間の

 投稿者:News  投稿日:2004年 9月23日(木)11時28分38秒
  9月22日夜、
New Yorkにアメリカ最初の
QUALIA Storeが
グランド・オープンしました。


http://new.stockwatch.com/swnet/newsit/newsit_newsit.aspx?bid=U-pLAW099-U:SNE-20040922&symbol=SNE&news_region=U&name=SONY+CORP&title=Sony

 

私には

 投稿者:幻視と実務  投稿日:2004年 9月23日(木)07時08分23秒
   子供っぽいところが
あるのだろうが、
 「ダ・ヴィンチ・コード」
のようなものをどうしても読む気にならないのは、
ケッ、何でオレがおまえらの神話体系に
つきあわなくちゃいけないんだよ、
と思うからだろう。

 キリストとか、聖杯とか、そういうもんが
世界とイコールだと思っている傲慢さが
イヤなんだろう。
 じゃあ、おまえらは、「空海と密教の秘密」

を喜んで読むのか、と子供のように反発する。
 実際、子供なんだから、仕方がない。

 特に、アメリカとか、ハリウッドとか、
そういう気配が絡むとだめだ。
 自分たちの関心を持つものに、世界中の人たちも
関心を持つはずだ、と信じている人たちの
放つ魂の腐臭から私は逃走し続ける。

 ブレストで、北野宏明さんと話した
ことがおもしろかった。
 ヴィジョナリー(visionary)とは何か、
という話になって、 
 ヴィジョンも重要だが、実務的な
能力もまた大切なのではないか、
ということを議論した。

 壮大なヴィジョンも、それを実現する
道筋は気が遠くなるようなディテールの
積み重ねである。

 北野さんは、ヴィジョンというのは
実は論理的な帰結として出てくるものだと
言ったが、賛成である。
 緻密な論理構成なしの誇大妄想が
人を引きつけるはずがない。

 クオリアにしても、これが重要な
問題だという命題は、機能主義や物理主義の
論理的帰結を吟味すれば火を見るより
明らかである。 
 その所在に気がつくのはインスピレーションかも
しれないが、
 心脳問題は実は論理的な帰結である。

 あとは、地道にディテールを積み重ねて
いくだけだ。

 ヴィジョナリーと実務家は対立概念ではなく、
幻視者と実務家の両方の資質を兼ね備えた
人にして、
 はじめてヴィジョナリーとなり得るので
あろう。
 

何かを愛する、

 投稿者:弱点  投稿日:2004年 9月22日(水)08時19分22秒
   ということは
基本的に良いことのように
思えるけれども、
 同時に、深く愛しているものが、
その人の弱点を表す。

 残暑の街を歩きながら、そんなことを
考えた。

 愛するものが、酒や煙草なら、
なぜそれが弱点になるかはわかりやすいが、
 問題は高尚に思われる精神的対象の場合である。

 子供の時、私は巨人の星を愛していて、
飛雄馬のマネをして投球練習をしたものだが、
飛雄馬の目の炎に世界が映し出されている、
と思っている
ところに、大人の私から見た弱点が
現れていたことは間違いない。

 中学の時は「赤毛のアン」シリーズを
愛読したものだが、これも今から見れば
微笑ましい。

 自分の愛しているものを書き出した
時に、それは自分の現時点での可能性の中心を
表すとともに、同時に、自分の微笑ましくも
恥ずかしい弱点を表してはいないか。

 もっとも、ここで「弱点」というものは
必ずしも劣等、発展途上を意味しない。
 何かもっと香ばしい人間くさいものの
気配がそこにはまとわりついている。
 
 小林秀雄、リヒャルト・ワグナー、
ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン、
アルベルト・アインシュタイン、
小津安二郎、夏目漱石。

 私がクオリア・マニフェストのトップ
頁に掲げたこれら愛する者たちは、
 私のどんな弱点を表しているのだろう。

 ユング風に言えば、憎むもの、嫌いなものは
自分の影だと言うが、
 影との付き合い方を学ぶことで、人は
弱点を埋め合わせていくのだろうか。
 

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