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>>ケン・ウィルバーさん
ご投稿、ありがとうございます。
さて、ご投稿の内容によりますと、
伝統を守ろうとするアイヌと、
時代に合わせた新しいアイヌが、
さも、どこかで対立しているかのような構図を空想なされているようですが、
それはどこでご覧になった光景でしょうか?
私には、そのような対立構造は、どこにもみられません。
確かに、伝統的な生活技術の伝承に力をおいている人たちと(職人?伝統工芸師?)、
そういったものにそれほど熱心でもないけども、アイヌとして何か、ほかの事をしたがっている人たちがいますね(アーテスト活動?)。
そして、それらの両方をあわせた数の、数百倍の数に上る、どちらにも関わっていない、マスコミにも保存会にも縁がなく、そして身内に伝承活者も活動家もいない普通の人たち。
わたしにとって『アイヌ』とは、以上の3つのひとたちをすべて含んだ呼称です。
かんがえてみてほしいものです。
『日本人』のなかに、伝統の技を継承する人たちがいて、そしてパンク活動をする人たちもいて、そして、なにもしていないひとたちがいる。
どちらも『対立』しているわけでもないですね。
誰かが『認めてやる』までもなく、どちらも『日本人』であるのと同じく、別に、誰に認められる必要もなく『日本人』であります。
ですから、現在のアイヌのいろいろな人たちは、特に、あなたが認めなくても、両方とも間違っておりませんし、それぞれが立派な『アイヌ』です。なにもしていない人たちも含め。
また、ご存じないかもしれませんが、むかーしから、ずっと、そういった人たちは、たくさんいたんですよ。
和人の国に同化政策を受ける前から、そして、受けた後でも。
ただ問題なのは、和人のアーテストがなにかを(和人の市場で)する場合、ただ単に『アーチスト』として勝負できるし、周囲もそう評価するわけですが、
アイヌのアーテストが何かをしようとした場合、どうがんばっても『アイヌの』とカッコつきになってしまう、という問題がありますね。
周囲もそう扱うし、場合によっては当人もそれにのっかってしまう(『アーティスト』としてはかなり深刻な状態)。
これは、表現活動をする上では、多分、きわめてシリアスな問題です。
いや『アイヌであることは個性だ』、なんていいだす前に考えてください。
本当に真剣に表現で勝負出したい場合、それは、たとえプラス評価でも、邪魔なのでは?
アイヌであることはプラスだ、と励ますのは、カムアウトできていない人間を励ます行為であって、表現活動とは別次元の問題です。
被差別体験のカムアウトと、表現活動は別のものですしね。
(根本敬のような路線を狙うなら別ですが…それでもよほど考え抜かないと、カムアウト路線は一発屋で終わりますね)
砂沢ビッキも、成田ウタリアンも、ひとかどのアーティストは、海外に活路を見出して、そして、そりなりの『評価される場所』を見つけて、活躍の場も得たわけですけどね。
ここの問題は大きい。
アイヌがなにかを表現しようとすると、ステレオタイプ(スピリチュアル・自然・伝統・被差別・弱者、場合によってはそれらに対するアンチな姿勢)に迎合するか、なるべく『におわさないように』活動しなければならない(隠す、とは限らないけども)。
もっとも『和人のマーケット』ではなく『アイヌのマーケット』であれば、この問題は解消します。
そこではアイヌであることは、なんの特徴でも個性でもないからです。
この場合の『アイヌの市場』とは『アイヌ好きな人たちの市場規模』のことではありません(それは和人マーケット内部の一部の嗜好グループです)。
ましてや『親戚縁者の集まりの閉じた人間関係』でもありません(それは市場とはいわない)。
『日本人マーケット全体』という意味と同じ意味の『アイヌマーケット全体』という意味でのマーケットができたとき、はじめて
『ごく自然な現代性のあるアイヌ文化の創造』が可能なんだと思います。
その『アイヌマーケット全体』においては、伝統文化にこだわる人たち、伝統文化からの脱却を図る人たち、の双方が『ごく一部の現象』となってゆきます。
ですが『アイヌ』であるという要素は消えたり同化されたりはしない。
ましてや『多文化との融合』なんて、志向されることもないわけです。
…そんなもの、みなさん(この場合は特に和人)いちいち考えずにできてるでしょ?
文化とは常に変化するものです。
多少の変化を、いちいち『進化』というのは大げさですよ。
進化なんて大げさな言葉は、もともとのアイヌ文化が、よほど『固まっていたもの』だという偏見でもないと、出てこない言葉かと思います。
とくにアイヌの場合、むかしの人の話をよく勉強すればするほど、新しいものを取り入れるのに、いかに意欲的だったかがわかります。それこそ『進化』しつづけているんですよ。
でも、政策的な差別によって、表に出てこれなかったんですね。
そのことが問題です。
アイヌの文化行為は常に進化しているけども、アイヌの扱いは(つまり和人の偏見)は、ずっと変化していない、という可能性がありますね。
ほんとうに進化する必要があるのは、誰なのでしょうか?
http://www.alles.or.jp/~tariq/
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